J1・J2リーグ通算主審担当「502試合」。JリーグのみならずJリーグ杯を含めると、「582試合出場」(副審を合わせると631試合)を果たした──いわば──プロ審判界の「先駆者」、吉田 寿光氏。1988年に3級審判員資格を取得し、そこから「審判道」まっしぐらの人生を歩んできた。「元プロフェッショナルレフェリー」であり、「元国際審判員」。
そして今もなお、「生涯現役」の目標を掲げ日々トレーニングに励んでいる。
周囲の人々に導かれるように審判の世界にのめり込み、気付けば、2003年。長年務めた教員を辞め、プロフェッショナルレフェリーとして、「サッカーで飯を食っていくこと」を決意した。
「コンプレックスをエネルギーに」。ピッチのミスはピッチで取り返す
ーー2003年に教員を辞めスペシャルレフェリーになられました。その後の生活に変化などはありましたか?
吉田:「私自身はあまり感じていなかったですが、試合で笛を吹いた後は色々な人に声をかけられたり、メディアに出させて頂くことも多くなりました。教員を辞めてスペシャルレフェリーになったという特殊な経緯があったので、講演会の機会もたくさん提供して頂いて、貴重な経験をさせてもらいました。
責任感などはスペシャルレフェリーになる前から強く持っていたので、周囲の関心などは特に気にしていなかったし、むしろ気にする暇もありませんでした。私はストレスをあまり感じなくて、この力を私なりに『鈍感力』と表現しているんですが、私の鈍いところが色々な側面でプラスに働いていると感じています。周りの目は気にしていないですし、例えば自分がミスをしたのであれば、『ミスをしてしまったことは仕方ない』と切り替えることが出来ます。もちろんミスは反省材料として変換しますが、決して引きずったりはしません」
ーートップの舞台に立てば様々な批判やプレッシャーがのしかかることが多くある思います。そういった困難にぶち当たったとき、『鈍感力』が活きるのですね。
吉田:「そうですね。鈍感力プラス、『負けてたまるか』という気持ちが強いんだと思います。たとえば講演会では、『コンプレックスをエネルギーに』というテーマでずっとやらせてもらっていました。私のレフェリーキャリアの中での最大のコンプレックスはウズベキスタンでのルールの適用ミスなんですけれど、やってしまったことは既に過去の出来事と捉えて、国際審判を辞めると自分から申告しました。ピッチのミスはピッチで取り返すしかありません。その後の審判キャリアは、『ウズベキスタンでのミスを払拭出来るようなパフォーマンスを発揮するぞ』と自分に言い聞かせながら笛を吹いているので、そういった『負けてたまるか』という気持ちが強く引っ張ってくれているんだと思います」
「正しい判定なくして良いゲームコントロールは行えない」。良い判定を積み上げるための掟
ーー吉田氏は2004年と2008年にJリーグ優秀審判賞を受賞されました。当時はいち審判員としてどのような心境を抱きましたか。
吉田:「1級審判員が吹く全ての試合にはアセッサーが付き、点数や評価をくだしてくれるんですが、それによっ定められた順位がその賞に繋がっているので、誇りを持つべき賞ですし、『やってきたことが間違っていなかった』と思える瞬間でもありました。また、プロは競争の世界でもありますから、評価が高くなければプロフェッショナルレフェリーにはなれないだろうし、国際審判にもなれない。良いゲームコントロールをしている証拠としての点数だったので、それはやっぱり選手のためになっていたんだろうし、見ている人たちも納得してくれていたんだろうなと思っていましたね。自分が歩んできた道は正しい道だったと認識できる一つの判断材料でした。素直に嬉しかったです」
ーー「評価」という言葉が出てきましたが、吉田氏が考える審判員としての評価基準はどこに存在しますか?
吉田:「私が一番大切に思っていることは、『正しい判定を試合のなかで積み上げていくこと』だと思っています。正しい判定が出来ずにゲームをコントロール出来るはずがないんです。今は『選手と如何にコミュニケーションを図るのか』とか、『マネジメントをどのように行うのか』などが中心に提唱されていますが、正しい判定なくして選手とコミュニケーションは図れないだろうし、マネージメントも無理なので、まずは正しい判定を下すためにはどうしたらいいのかっていう部分が一番に大切だと感じています」
ーー正しい判定をくだすための最も重要な準備や心がけはどういった部分にあると思いますか?
吉田:「いくつかありますが、正しい判定をくだすために『どこにフォーカスを持っていくのか』というのが私の一つのやり方です。たとえばボールを持っているプレイヤーに対し、相手チームはチャレンジし、ボールを奪いに行くのですが、そのプレイヤーがシュートをしようとした場合、シュートをしようとした選手がチャレンジしに来た選手に対してファウルを犯すことはほぼ無いに等しいですよね。仮にドリブルをしていて相手選手と並走しているのであれば、ボール保持者の肘とか腕が相手に入る場合もありますが、今まさにシュートを打とうとするタイミングであれば、そんな事は出来ない。なので、自分のフォーカスを、シュートストップをしようとしている選手に持っていくことから始めます。こういった瞬時の切り替えを、90分間のめまぐるしい攻守の切り替えのなかで行っています。
また、試合のなかでボールの行方がどっちに行くのか分からない、五分五分の状態ってあるじゃないですか。人間の目というのは、自然的にそのどちらかにフォーカスを当ててしまう構造なんだけど、意識的に二人の選手をぼかして、俯瞰的に見る。この場合はあえてフォーカスを当てないんです。サッカーはボールの所有者が瞬時に切り替わるスポーツでもあるので、その分フォーカスを当てるモードの切り替えや矛先の転換を繰り返し行う必要があるんですが、そのフォーカスの当て方に微妙な誤差が生じてしまったりすると、それが判定ミスに繋がったりしますよね」
ーーそういった作業を意識的ではなく『無意識』に遂行できるようになれば、よりレフェリングに余裕が出てくるのではないでしょうか。
吉田:「まさにその通りですね。そうすると次の意識はボール周辺ではなく、次に展開されるであろうスペースや人に向くようになります。次の展開を読むんですね。たとえば、GKが右のSBにボールを渡したとする。そのSBがフリーな状態でボールを持っているならば、私はボール周辺をほぼ見ません。見るその先は、次にボールが渡るであろう中盤や前線の選手がどういった動きをしていて、誰がボールを受ける動きをしているのかを見ます。ボールを受ける選手の情報を早い段階で収集し、そのための体の向きを確保する。もちろんボールを持っている選手に対し奪いに行く選手がいるのであれば、そのチャレンジする選手を見なくてはいけないですが、いないのであれば、その次の局面を予測しイメージするんです。そして、これらの作業を意識的にではなく、『無意識』に出来るようになるまでの過程が、まさに鍛錬だと思います」
「審判の道」を極めることと、「人間性」を高めることは同意義である
ーーとはいえ、速く目まぐるしい90分のなかでミスが起きてしまう状況もあるかと思います。そういったネガティブな状況では、どのようにしてメンタルをコントロールしようとするのですか。
吉田:「おそらく私も若い頃はミスしたことを気にしていたと思うんですよ。それがいつの日か分からないですけど、マイナスに考えることはほぼ無くなっていました。やってしまったことは仕方ないので、すぱっと切り替えられるようになりました」
ーー審判という職業が特殊であるが故、そういう考え方を持たざるを得なかったのですか。
吉田:「審判としてのレベルを上げていくために、審判技術やメンタルの部分を一生懸命にやると思うんですが、そもそもは、『人間性を高める』必要があると考えていて。審判が上手くなりたければ、吉田寿光という人間性を高めなくてはいけない。審判以外の部分で人として色んな経験を積んで成長してきたからこそ、試合でミスをしたとしても、メンタルを切り替えて、割り切ることが出来ていたんだと思います。審判の上級を目指したいから審判に関することを一生懸命にやることは当然なんですけど、自分の考えは、審判だけをやっていても駄目だということ。もちろんミスは起きてしまいますが、その人となりが認められたら、『仕方ないな』って少しはなるじゃないですか。常日頃から人としての基準を高めることを意識し、生活しています」
ーーつまりは審判も人間性を高めるための一つの手段に過ぎないということですね。
吉田:「そうです。私は『審判道』という言葉を学校の講演会などで使わせて頂いているんですが、教育基本法の第一条には『教育は人格の完成を目指し…』と記されています。これは教育だけではありません。私は死ぬまで『人間・吉田寿光』の人となりを高めるために。生かされていると考えています。何故かと言うと、私の母を69歳で亡くなってしまい、その後に父が7年間一人で暮らしていたんですが、その後、父の孤独死に直面しました。その時に父を孤独死させてしまったと人間としての駄目さを痛感した。だから、吉田寿光は命ある限り自分を高めなくてはいけない。そういった意味でも、審判だけでなく、人生における全ての経験が成長に繋がるだろうし、人間性を高める行為と審判道を高める行為は同意義であるので、その営みを続けなくてはいけないなという考えです」
ーー審判としてのレベル向上を図るため、まずは人間性を高めるべきだということですね。
吉田:「サッカー審判.comさんも同じ考えだと思いますが、審判をやるためには、ちゃんとした収入なり職業がなくてはいけないと思っています。私は教員になって一生懸命に教務に励んだから、『審判としても頑張れ』と快く送り出してくれたし、そのような環境を作り出すことが出来た。仕事を頑張って、審判も頑張るという順番が良かったんです。今は得てして、20代前半で1級審判員になる方がいらっしゃいますが、仕事が決まる前に1級審判員になったり、アルバイトを掛け持ちしながら、審判活動を行いやすい職業を探す傾向が少なくないと聞きました。そのなかで正解は無いと思いますが、それでも、仕事を一生懸命に行い、ある程度の収入があって、『周囲の人たちに送り出される人』であってほしいと私は考えるんですね。サッカー審判.comさんは、審判をやりながら収入を得ましょうという考えでサービスを展開されているので、協力させて頂きたいと思っています」
次世代に想い伝えるため、「生涯現役」を貫くーー。
ーー吉田氏は今もなお「生涯現役」を掲げ、審判を続けられていますが、そのモチベーションはどこからやってくるのでしょうか。
吉田:「私の審判としての最大の汚点はウズベキスタンでのミスです。ピッチでのミスはピッチで取り返すしかないと思っています。そして、それら自分が経験したことを色々なレベルのサッカーに還元したく、現役を続けています。今は公式の審判資格を返上したので、民間のフェスティバルだとかエキシビションマッチくらいしか笛を吹けませんが、そういった試合でもゲームを楽しみにしたプレイヤーたちがゲームに専念出来る環境を作り、見ている人たちに試合を楽しんでほしい。その環境を作るために58歳になった今も、いつ試合が来てもいいようにとトレーニングを行っていますし、今でもきちっとゲームコントロールをして、良い試合を成立させる自信があるので、現役で続けています」
ーーウズベキスタンでは具体的にどのようなことが起きたのでしょうか。
吉田:「結論から言うとPKの蹴り直しであるべき状況で、間接FKだとルールの適用を間違えてしまいました。その試合は後に再試合となり、私は試合が終わった後に国際審判員資格を返上しました。
判定に関しては、その試合の映像を何回も見直していますが、最初は『PKやり直しですよ』と自分で選手たちに言っていることが分かります。しかし、英語の堪能な複数のバーレーンの選手たちが、『ペナルティエリアに侵入したのアタッカー側だけなんだから、ルールが変わったことを適用した場合、ディフェンス側の間接FKだろ!』と、罵倒されるかの如くガーッと言われたんです。それで前後の記憶が完全に飛んじゃいました。状況が分からなくなり、選手側に主張された意見に『確かにそうかもしれない』と、納得してしまったんですね。あの頃は審判員同士でマイクを付けてコミュニケーションが図れるシステムが無かったので、国際試合の打ち合わせでは、何かあってはいけないことがあったら、日本語で『吉田!違うぞ!』と怒鳴ってほしいという打ち合わせを必ずしていたんですが、そういった発言は聞こえなかったので、間違っていないと判断し、試合を再開させた。試合の後、他の審判員たちに聞いたら、『吉田さんがまさか間違えることは無いと思い込んでいた』と言われ、それなら言ってくれよと思いましたが(笑)これは仕方ないことで、責任を負うことが主審の仕事でもありますから、当然ですが、彼らを攻める気持ちは一切ありません。それだけ自分が混乱していたということです」
ーー審判員としてミスをしてしまったゲームの映像を見ることは苦痛ではないのですか?
吉田:「映像を見たくないということはありません。自分がどういった原因でミスをしてしまったのかということを突き詰めなくてはいけないので、ミスはミスとして受け止めて、原因を追求し、同じようなミスを繰り返さないようにします。サッカーにおいてまったく同じシチュエーションというのはあり得ないですが、また同じミスをしないように、自分なりの改善策を持つ必要があると思います。
サッカー審判って正解がないんですよ。『吉田寿光だったらこうするだろうな』っていうのはあるけれど、それが正解でもない。背の高いレフェリーと私みたいに背の低いレフェリーでも、またやり方は違う。『その人その人にとっての正解を自分なりに導き出す』ということが最も大事なんです。みんなきっと真似はすると思うんですよ。しかしその真似が、その人にとってのプラスになる場合もあれば、マイナスになってしまう可能性もある。それは誰にも分からない。自分のスタイルに合わせて様々な情報を取捨選択し、自分にとっての正解を確立していくべきだと思っています」
ーーそういった意味でも、自分以外の人に対し自身の審判員としてのスキルと経験を再現戸高く教え伝えることは容易ではないと思います。吉田氏は今後、どのようにして次世代にメッセージを残していきたいとお考えですか。
吉田:「先程に審判がピッチ上で行うべき『フォーカス』の話をしたと思うんですが、それは、『自分ならではのやり方』だと思うんですよ。なかには、まったく違うところを見ていて良い判定をする審判もたくさんいらっしゃると思います。審判に正解はないだろうし、自分が審判の指導者としてアウトプットしたことが正解なのかも分からない。それぞれスタイルが違うので。
教員をやってい当時、2年目に初めての担任を持ったんですが、ある生徒が2年生に上がる春休み中にバイクの免許を取り、学校に来なくなったんです。私の担任としての初めての仕事がまさかの退学の手続きで(笑) 男の子だったんですけど、私が『バイクを取るのか、学校を取るのか、どっちなんだ』と迫ったら、『バイクを取ります』と言い放ったんです。結局この生徒は学校を辞めてしまったんですが、私が掛けた言葉は本当に正しかったのか。他に正解があったのではないか。と、今でも葛藤が残っているんです。この一件だけではありません。先生として、サッカー指導者として、正しい言葉をかけることが出来ていたのかという悩みがずっと付きまとっているんですね。だから、もし審判指導者になって、『こうですよ』と言ったとしても、それが正しいのか、言われた人にとってプラスになるのかどうかが不確かであり、責任も取れない。これが、いつまでも現役を続ける理由と繋がっているんです。現役を続けていれば、『自分はこういうやり方をしますよ』と、実際に見せ続けることは出来る。それを見ている人がどう受け止めるかは分かりませんが、提示することが出来るんです。
おそらく学校を辞めることになった生徒は、その後の運命が少なからず変わったはずです。それと同じようなことを、審判の次世代の方たちにしたくないという気持ちが強いです。自分のパフォーマンスはいくらでも見せることが出来るので、まずは自分自身を律し、次世代の方たちが何かを感じてくれれば良いと思っています」
ーー貴重な経験談、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します!